人はすべからく社会的存在か?

「人はすべからく社会的存在である」というテーゼをもって学び、社会を見、また生活してきたつもりであるが、最近それがどうも違っているように思えて仕方ない事象様々。

町に車で下りたら紅葉の八ヶ岳。

樹木希林氏が逝ってしまってから希林邸で使っっていた泡ガラスで作ったランプシェードの注文が舞い込むようになった。
照明器具は35年前に希林邸で一軒分作った数年後、京都や東京や愛知で個展が続き、それなりに稼がせてもらったが、どうも同じ物を作るということがワタクシの性に合わず、また小さなガラス・ピースをちまちまと組み合わせることも性に合わずに25年ほど前からはよほどの知人以外は照明器具に関しては断り、窓に嵌め込むパネルだけ作ってきた。
ただ今回は希林さんから「もうちょっと真面目に仕事せよ!」あるいは「へへへ、アンタアもうちょっと稼げへのプレゼント」と言われた思いで、幾つか注文を受けたのである。

で、もう35年前に作った棚の上の埃りだらけのボール紙で作った型を梯子で下ろし、やはり35年前に作ったガラス・カット用の真鍮で作った型紙を探し出したのであるが、錆だらけ。そうだよなぁ、この真鍮製の型紙で何千枚ものガラスをカットしたんだもなぁと暫し見入る。
それにしても照明器具を作るにはフラックスとしてペーストではハンダの流れが悪く、どうしても塩化亜鉛系を使わざるを得ない。さて、またぞろアレルギー性急性副鼻腔炎にならないかとちょっと心配と、ちまちま仕事に耐える気力が続くかちょっと不安。

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