伊藤礼氏逝去

一昨日は秋の出払い作業。朝8時に集合し、常会の丁場へ。今日は快晴だが気温が低く、半袖の上に釣り用のゴア・パーカーを着込む。作業は能動の草刈り。1時間で終了。一度帰宅してシャワーを浴びてから11時半に改善センターへ。常会30軒程が集まり先ずは来年度の常会役員決め。来年も何の役にも就かずに助かった。その後懇親会。「お燗当番」が農協で買ってきた刺身や惣菜にビール・酒・焼酎・ウィスキー。コロナで久しぶりの常会の宴会である。
フミアキ君、日本酒を飲まされダウン。2時頃に二人でトボトボ歩いて帰って来る。

昨日朝、新聞を読んでいたら、社会面に「伊藤礼氏」の死亡記事。22日に病気のために90歳で亡くなられたとの事。
伊藤礼氏は翻訳家でありエッセイストである。またワタクシの学校の大先輩でもある。父親は伊藤整氏である。また文才豊だった妹さんの故伊藤マリ子さんとは小学校・中学校の同級生でもあった。
礼氏は若い頃、富士見高原療養所(高原のサナトリウム)に入院していた事から富士見を懐かしがり、40年ほど前に初めて訪ねて下さって以来可愛がって下さり、数年に一度ひょっこりと訪ねて下さった。鳥猟が趣味で、素晴らしい彫刻の入った銃とすばしこい猟犬を飼っていて、一緒に雪の野山を歩いて銃を撃たせて貰ったり、高遠を訪ねたりした。飄々とした語り口で随分と色々な事を教えてくれた。またワタクシの子供が小さい頃はよく子供達をからかったりとホノボノさせてくれた。
ここ何年かはお見えにならなかったが、年賀状は欠かさずに下さり、時にお電話も頂いた。夏前にも電話を頂き、声からはお元気そうであったのだが・・・
テッポウや自転車、碁や自転車に畑(久我山の庭を本格的に耕運機で耕し、農場としていた)と趣味多彩にしてエッセイスト、彼の本が面白くないわけがない。彼のエッセイは全て読んだし、友人が来て「何か面白い本ない?」と聞かれれば、礼さんの「狸ビール」や「パチリの人」「まちがいつづき」や「伊藤整氏奮闘の生涯」などなどを「必ず返して!」と言っては貸していた。最後にいらっしゃったのは長野県と愛知県の境の村のお祭り「霜月祭」を見ての帰りに2年続けていらっしゃった時だっただろうか。「一度一緒に行きましょう」と誘われていたのだが果たせずじまいであったし、お庭の「久我山農場」も一度も伺えずだった。

ああいう洒脱というか飄々とした人はワタクシの憧れの人である。カミサンも「また美しいモノが失われた気がする」と言ったが、ワタクシも同感である。

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