脱穀

昨日はイッペイさんの田圃の脱穀。富士見は朝小雨。8時に田圃へ。茅野は晴れていた。
前日蝶ヶ岳から常念岳に行っていたカワダさんもちゃんと来る。83歳と74歳、それに62歳の女性2名というゴウセイなメンバーだったが、如何せん丹沢程度しか登った経験のない女性2名が岩稜地帯を歩けずにヘッドランプを点けての下山で疲れた様子。

脱穀はイッペイさんが機械で刈り、吐き出される藁束をワタクシが積み上げていく。カワダさんはせぎ棒を解体していくという役割分担で、昨年はイッペイさんと2人だったのに比べると早い早い。10時のお茶を挟んで午前中には全て脱穀を終え、20〜30Kgの米袋24個の収穫を終える。カレーの野良飯を終え、午後は籾を2回に分けてイッペイさんの家の米倉に運び込む。20数Kg〜30Kgの米袋を軽トラから下ろして計量後、ワタクシが一輪車で米倉に運び込むのであるが、途中足場板を一輪車で渡り米倉のネズミ返しを跨いで運び込まなければならなず、膝にくるしで、昨年同様一番の重労働となる。高校生の頃から冬山に入るとなると30〜40Kgのキスリング・ザックを担いでいたが、あれから50年、古希老人にはキツイ。軽トラ2台分、24袋を運び込む。今年の出来は昨年より多く、目標の600Kgを超える。

田圃に戻り、カワダさんが集めてくれていたくず藁の袋をコンテナ式の納屋に運び込み、せぎ棒は60〜70年前に爺様が建てたというなかなかに田舎の景色に馴染んでいる納屋に運び込む。
昨年は途中から雨だったが今年は天気に恵まれ、風が少々あったので汗もかかずに随分と楽。3時半には全てを終える。

我が家に戻り、一刻も早く寝たいというカワダさんにシチューやサラダなどをタッパーに詰めて持って帰ってもらう。

イッペイさんとは昨年の稲刈りからの付き合いだが、今年は田植、稲刈り、脱穀と米がどのように作られているのかを体験することが出来、おまけに手伝って採れた新米を口にすることが出来るのはなかなかに嬉しいことである。

夜はさすがに疲れて10時前には寝るが、10時40何分かに地震の揺れで目覚める。スマホは警報音を発する。震源地は埼玉あたりで震度5強と確認するも眠くてそのまま寝てしまい、今朝になって都内で脱線だのマンホールから出水だのを知る。ムスコにLINEで連絡するも「コップが割れた」との返事だった。

カミサンと「どうせならオリンピックの最中に揺れれば良かったのに!」

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