息子の母校へ

アララギ派の歌人森山汀川の歌に草川信が曲をつけたもので、まだ未発表のものをご遺族が保管されていたのだが、古い自筆の譜面だけに読めなくなっている箇所も多く、ひょんなことからご遺族にカミサンが採譜を頼まれ、2年ほどかかり最近やっと完成したのだが、それを富士見町図書館がきちんと製本してくれた。ついては森川汀川の母校である旧制諏訪中(現諏訪清陵高校)にも寄贈して欲しいとのご遺族の希望で、カミサンが届けることとなり同行した。

イシガキ校長にお目にかかり、この楽譜を採譜する経緯を簡単に説明したところ、音楽部(合唱部)にも話しを持って行って下さるとのことであった。
3年前に卒業したムスコをよく覚えていて下さり、「ユニークなお子さんでしたね」とのことに思わず笑ってしまう。ムスコにとってはこの旧制の名残を残した高校で得たものは本当に大きかったと感謝している。丁度午前中の授業を終えられた国語のタケイ先生もお呼び頂き、散々お世話になったムスコのお礼をお伝えすることが出来た。校長先生が「帰省した時にはタケイさんと3人で是非飲みたいと伝えて下さい」とのことで、親としも感謝であつた。

午後のダリ散歩にムスメと牧草地に行く。ここは先日まで膝上まで雪が残っていたのだが、陽だまりだし、ここ数日の日中の気温で空隙に融けている。鹿の糞を食べたダリを叱ったらちっとも反省しない反省のポーズ。この後、200mほど離れるまで「待て!」のお仕置き。IMG_3158(変換後)
八ヶ岳の上から発せられたような直交する2本の飛行機雲を見る。
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散歩

昨日は2ヶ月に一度の内科であったが、数値が悪くなっていた。明らかに運動不足・食い過ぎである。ドクトル・タニウチから「まあ、歩けと言っても凍っているしなぁ〜。でも何とか!」と言われる。会計が終わって展望レストランに行くも『カツ丼婆さん』は見当たらず、ここは躊躇なく『山菜そば』なんぞを注文する。一日のカロリー摂取量を考えるとワタクシの場合は朝と夜はそれ程とは思えないのだが、どうも昼食の量が多いのと、夕食前の酒の肴が多い。で、今日から(昨夜は飲まず!)昼食後1時間以内に散歩することと、夕食前の酒の肴(大抵チーズ・サラミ、或いはクラッカーにパテである)を減らすことにして、昼食後散歩に出る。所々カチカチに凍った道を注意して村の南東側農道を阿弥陀岳に向かって真っ直ぐ登る。IMG_3125(変換後)風が冷たく、毛糸の帽子と手袋をしてこなかったことを後悔する。途中陽だまりに雌鹿3頭がのんびりとこちらを見ている。IMG_3123(変換後)農道の縦道のどん詰まりまで30分である。若い命を奪った阿弥陀に向かって合掌。IMG_3113(変換後)

明日からも晴れた日には昼食後に1時間散歩することにする。

夕方、故ミツルさんへのバレンタインのプレゼントを届けにムスメと一緒に伺う。ミツルさんは元茅野山岳会長で、遭対協として多くの登山者を救ってきた人である。3年前、山の友人宅でちょっとした事故に遭い、あっけなく逝ってしまった。ムスメが小学校2年だか3年の時に一緒に赤岳に登ったのをきっかけに、よく山行を共にした。何時頃からかバレンタインにはムスメが手作りのプレゼントを届け、ホワイト・デーには律儀なミツルさんからのお返しがあった。亡くなってからも毎年ムスメがプレゼントを届けている。ミツルさんが亡くなってしまってからワタクシやムスメの山行日数もガタ減りである。

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阿弥陀岳

今朝はいやに気温が高い。
信濃毎日朝刊によると、学習院5人パーティーは8日に行者小屋から(分三郎からか北陵からかは出ておらず)阿弥陀に登った後、中岳分岐で誤って立場川側に入り込んだが途中で気付き、同夜はビバーク、9日に南陵を登り返したが途中で1年生の女子学生が遅れだしたので主将が付き添い、1〜2年生3名を先行させ、この3名は18時頃に行者小屋に戻ったものの、9日夜9時を過ぎても2名が戻らない為に救助依頼を行ったようである。
昨夜の夕方見た県警のヘリは南陵あたりを盛んに飛んでいたし、夜のニュースでも救助隊員が南陵と思われる場所を捜索しているのを見て、ちょっと不思議に思っていたところであった。

今朝の阿弥陀は薄くガスが掛かっているが、中岳も薄く見えている。

8時半頃

8時半頃

仕事をしながらも時々アトリエから阿弥陀を見る。10時頃にはガスも上がった。何とか早く見つけて欲しいものである。

10時半頃

10時半頃

午後、釜無川の鑑札の交換に原村のイケさん宅へ。イケマナブさんは1999年に槍ヶ岳北鎌尾根で亡くなっているが、奥様のリツコさんが漁協の組合員として鑑札を受け継いでいる。学習院大パーティーを心配していた。
帰りにヨシユキさん宅に久しぶりに寄る。1980年夏、大学のワンゲル1年生がやはり阿弥陀岳に続く尾根で亡くなり、大学本部からの依頼を受けてヨシユキさんと遺体収容に夜中に登ったことなどを思い出す。
14時頃から盛んにヘリの音がしだし、16時頃県警ヘリが帰投するのが見える。ひょっとして見つかったのかと思い帰宅してパソコンを見たら、阿弥陀岳南西面にて遺体発見とのことであった。

16時過ぎ

16時過ぎ

ネット・ニュースでは2ルンゼ?(広河原沢2ルンゼ?)付近でザイルに結ばれたまま1.5mの雪の下に埋まっていたとのことである。

1999年の正月、ワタクシの所属した山岳部でも後輩2名を鹿島槍で失い、更に翌年の夏には穂高でやはり1名が墜死した。皆二十歳くらいだった。
辛いことである。が、それでも山が、特に雪と氷に閉ざされた山が『登る人』を強烈に惹きつけるものがある以上、山に登らない人間が下界のストーブの前で何を言っても決して通じやしないのである。

 

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遭難事故

昼のニュースで学習院大学山岳部の2名が阿弥陀岳で遭難したことを知る。詳しい状況は分からぬが、8日におそらくは北陵から登頂後にビバーク、昨9日3名は行者小屋に戻ったが2名が夜中になっても戻らないとのことで救助要請が出されたとのことである。昨日は普段殆ど吹かない我が家周辺でも強風が吹き、上は大荒れだったと思われる。雪崩に巻き込まれていなければよいのだが。

今朝から県警救助隊やOBも捜索に入った様子だが、朝から阿弥陀周辺には雲がかかり、ヘリはとても飛べそうもない。
学習院山岳部とはワタクシのいた山岳部も親しく、志賀高原でスキー中のカワダさんに連絡を入れる。毎年谷川岳の我々の小屋周辺で雪上訓練をやっていて、監督や現役の顔見知りもいるとのこと。

15時半頃、アトリエから見たら阿弥陀の南面の雲が上がってきたので、カメラを持って外に出てみる。中岳方面には雲があるが南面は晴れている。見ていたらちょうど長野県警のヘリが旋回しだした。IMG_3058(変換後)

4〜5年前にも2名だか3名のパーティーが阿弥陀から行者小屋へと下山中に立場側に入り込み、救助に向かった県警救助隊の若い隊員が雪崩に流され(助かったが)、あわや二重遭難という事故(登山者は全員死亡)があった。何とか天候が持って今日中にヘリで助けられれば良いのだが・・・

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Power Book G4

仕事している最中に「あのぅ〜、ちょっとこの曲の歌詞をネットで調べて欲しい」とか「iTuneでこの曲を買って欲しい」とか時々カミサンが言ってくる。甚だウルサイ。前にもパソコンの使い方を教えたのではあるが、3本ばかり毛が足りないカミサンであるから教えても直ぐに忘れる。おまけに彼女はデストロイヤーで、機械とあらば何でも壊す人でもある。
で、ワタクシからムスコ、ムスコからムスメへと渡って、昨年まで現役だった10年ほど前のPower Book G4 12’をカミサン用にすることにしたのだが、起動させようとしたら立ち上がらずにHDDがガリガリいっている。ではと乏しいお小遣いから大枚5千円を投じて取り寄せたHDDが昨夜届いたので交換することにする。前回のワタクシのiMacのHDD交換時と同じようにテーブルの上に綿のシーツを広げ、ムスメのMac Book Proを使ってネットの分解方法を見ながらバラす。とにかく細かいネジをやたら外さねばならず、両面テープを貼り付けた紙の上にバラしたネジを場所毎に貼り付けていく。IMG_2680(変換後)2時間近く掛かってやっとHDDを交換する。IMG_2679(変換後)そしてインストール・ディスクから起動!ちゃんとAppleマークも出てやれやれ。インストールも終えて設定をし始めたのだがここでトラブル。キーボードから入力出来ない!うんにゃ!やってしまった。実はキーボードを外す時にフラット・ケーブルのコネクターがなかなか外れず、ちょっと力を入れすぎてフラット・ケーブルがコネクターから外れてしまったのである。pbg4_013で、フラット・ケーブルをコネクターに苦労して取り付けたのだが、どうも向きを間違えて取り付けてしまったようである。仕方ない、また分解して反対に取り付ける。今度は全部組み立てる前に電源を入れてみる。無事起動し、キーボードから入力も出来る。全てのネジを締めて完了。やれやれ半日仕事となってしまった。
ま、OSも古いが、カミサンがネットで調べ物をする位なら充分使えそうである。

夜、ムスメに「カーサンにパソコンの使い方を教えてやって」と頼んだら「それってアルバイト?」ときた。う〜ん、カミサンにパソコンの使い方を教えるというのは猿に携帯を教えるのと同じ重労働かもしれない。ま、LINEやメールに返事を返さないと怒り狂う人間の顔をした猿が跋扈している世の中である、いずれきっちり『パソコン』や『ネットの裏』、『メールの恐ろしさや手紙との違い』を教えねばならないと、ちょっと頭が痛い。

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