初雪

今朝は初雪。
朝4時には配達がある新聞屋さんの轍がないので4時以降に降り出したのだろう。
但し気温はマイナス1℃程度であるから水分の多い雪。
ゴミ捨てに7時前にゴミステーションまで行ったが、舗装道路にはほぼ雪なし。

初雪、半分嬉しくもあり、半分これからの寒い冬を思うと・・・

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あん肝作り

今年は「山ワサビ漬け」作りを断念した。我が家の栽培地?は目の前の沢の脇であるが、護岸を降りて、沢床の石の上を歩き、採取してからまた護岸を登るという動作にまだ自信が持てずに断念した。来春には術後9ヶ月となり骨も完全につくと思うので、それまでの我慢である。

そうなると毎晩の晩酌の酒の肴がない。そこで先日諏訪の街まで行って「アンコウの肝」を買ってきた。
あん肝作りも例年のこの時期の酒の肴に欠かせない。
作業としてはアンコウの肝を水洗いしてから、筋と血管を取り除き、薄皮を剥ぎの下処理をした後、塩と酒を振ってラップ等で形を整えて蒸すだけであるから簡単であるが、下処理が結構面倒くさい。筋や血管をきちんと取り除いた方が舌触りは良いのだが、崩れやすい肝のこと、結構気を使う。
ただ、自分が食べるのだからそこはテキトーにであるが。

下処理終了

今年は少々塩を振りすぎたが、酒の肴としては少々塩が効いていても気にならない。ワサビ漬けが無いのはちょっと残念だが、これで毎晩旨い酒を飲んでいる。

 

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もう5年

ワタクシの40年来の親友であったヨシユキさんが70歳で逝ってから、昨日でもう5年である。

2〜3日前に奥様のシゲコさんがいらして「ヨシユキさんと飲んで下さい」と、彼も好きだったジャックダニエルを届けて下さった。
昨日夕方、カミサンが作ったカボチャのケーキを持ってお線香をあげに伺い、夜は彼を偲んでジャックダニエルを呑む。

仕事に気が乗らない時など、ヨシユキさんの毒舌を聞きに10分ほど離れた家に、それはよく行っていた。

ヨシユキさんが緩和ケアに入院して数日後、容態が余り良くなくなったが、ワタクシは東京での仕事納入や修理、ムスコのライブや、やはり親友であるクボタ君のガン手術前に会おうという約束などが重なっていて、ヨシユキさんに「ちょっと東京に行かねばならない。帰って来るまで頑張って!」と言って上京したのだが、明日帰るという3泊目の夜中に容態が急変。翌早朝に亡くなられてしまった。

ワタクシはオフクロよりは長生きしたし、来年4月まで生きればヨシユキさんより長生きとなる。

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う〜ん

相変わらずベルばら調の絵を如何にステンドとして仕上げるか頭を悩ましている。絵として描いた人物の顔をステンドにというのはかなり難しいが、絵付けでは面白くない。ただ原作の絵には鼻や唇は描かれていない。鉛線の入れどころが難しいが面白いので乗っている。

昨日はワタクシの作品を沢山使ってくれている某クリニックから、毎年のクリスマスプレゼントのクッキーや三元豚のスモークや鮑のマルセイユ風やスープなどが届く。これらを作っているケーキ屋やバーなどの店内にもワタクシの作品を使ってくれているのだが、ケーキ屋さんに入れた藤の花のステンドのデザイン画はお店のシンボルマークとしても使ってくれている。シンボルマークとして描いたものではないのでちょっとアレな部分もあるが、それがクッキーの缶にも貼られているのはちょっと嬉しい。
このケーキ屋さん「ラ・グリッシーヌ」は秋葉原の外れというか末広町の駅の近くでとても美味しい。またその地下にある「バー・オデオン」も洒落たお店で、本格的フランス料理を食べられる。是非!

今朝のTVニュースでコロナの抗体保有率に関してやっていた。抗体保有率だが長野県は全国で一番低くて9%。沖縄が一番高くて46%とか。長野県民は几帳面だからキチンとワクチンを打つからだろうか?こうなってくるとワクチンをきちんと打つか、打たずに感染した方が良いのか?ただ感染したとしてもその抗体は2〜3ヶ月しか保たないらしいし、最新の研究では2度目、3度目の感染の方が重症化や後遺症が多く強く出るとの発表もある。いずれにしてもワタクシは基礎疾患があるし、味覚障害だけはカンベンであるから打つが・・・
ま、当面はもっと抗体の持続力のあるワクチンが開発されるまでは数ヶ月おきに打たねばならないのかもしれない。
全くイヤな時代である。

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薪原木

昨夜原村のフユキ君から電話。「頼まれていた紅葉樹の子彼岸桜を伐ったけれど、要りますか?」とのこと。有難い。「急ですが明日運んでも良いですか」との事で、今日の昼前に2tダンプで運んでくれる。

フユキ君のオトーサンは故池学氏。奥鐘や甲斐駒岳の岩壁の開拓で有名だった。22年前に初冬の北鎌尾根で逝ってしまった。この年は正月にワタクシの山岳部後輩二名も雪崩で亡くし、捜索に半年を費やした年でもあった。北鎌に行く1週間くらい前にばったり西友の入り口で会い、「成蹊さん、よく頑張って捜索したね」と声を掛けらればかりであったのでショックだった。ワタクシは後輩の事故報告書作りなどで忙しく、奥様に頼まれて捜索用に東邦航空を紹介したのみで、捜索のお手伝いは何も出来なかったが、翌年秋に遺体を発見・収容することが出来た。

フユキ君には以前にも薪原木を分けて貰っていたのだが、今年8月頃に電話して「薪原木があったら分けて欲しい。ただ膝を手術したばかりなので運んで貰えると助かる」と頼んでおいたのである。ダンプでドドっと降ろしてくれる。来冬一冬分とは行かないが結構ある。「まだ1台分位なら出るからまた持って来ます」とのこと。感謝!

一緒に昼食を摂り、何で伐採の仕事を始めたのかなど話してくれる。随分と考え、調べ、勉強して伐採の仕事を始めたことを知る。僕等などが八ヶ岳山麓でガラスや陶芸や鉄や木工などを40数年前に始めた頃には、フユキ君のように事業として考えるなんて発想はまるでなく、ただ都会の生活や会社勤めに向かないと、僅かな資金で手作りの家を建てて住み着いたのとはまるで違い、しっかりと事業計画を立てて始めた事に驚くと共に、頼もしさを感じる。さすがに池学さん・律子さんの御子息である。

さて、この膝であるからそうそう薪割りも出来ないが、木に足を挟まれたり、チェーンソーで怪我しないよう気を付けて始めなければ。
取り敢えず、何時フユキ君が薪原木を運んで来てくれるか分からないので、新たな原木を地面に触れないで置けるように枕木を7〜8本を置く。枕木は昨年イッペイさんの所から貰って来た腐食に強いサワラだが、抱えて運ぶサワラの重いこと。結構膝に来る。
またダンプで降ろした際に一緒に落ちて原木の下敷きとなったコンパネを引っ張り出せるように何本か原木をチェーンソーで切る。チェーンソーを使うのは1年ぶりか。まだ何となく膝が不安定なので足場をきっちり決め、原木に足を挟まれないように注意してストーブに入る長さに切る。一度コケたが咄嗟に左膝を庇って右膝を先についたので事なきを得る。クワバラクワバラ。

さすがに疲れたので夕食を早めに食べて始めたと思ったらカミサンが「裏庭に車がいる」とのこと。慌てて飛び出したら真っ暗な中、フユキ君がダンプで原木を降ろし始めていた。「これで来冬、足りますか?」との事。「充分充分」。
合わせて4トン以上。
感謝感謝である。

これから仕事の合間(現在はカミサンに歌唱指導を受けに来ている女性が高校時代に描いたベルばら調の人物の顔の絵をステンドにと頼まれ、表現方法でウンウンいっている最中。ベルばら調はちょっとアレだけど、挑戦するには面白そうで乗っている)に少しづつ玉切り、薪割りをして鈍った身体を鍛え直さねば。

それにしてもフユキ君、有難う!

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