63歳・・・

本日で63歳となった。「カンレキうれしいなぁ〜」と言ってから早3年である。
ま、それなりに肉体の劣化は自覚するものの、先日の内視鏡によるガン検査でも再発は認められず、2010年の再発手術からも5年経ったことになる。

今のところは65歳から国民年金を貰えるらしいが、アイツラ国家詐欺団の考えることであるからワタクシが65歳になる直前に67歳からだとか70歳からなんて言い出すに決まっているのである。であるから63歳になったなんてノンキに構えてはいられないのである。ついでに言えばワタクシの生命保険も確か65歳までに亡くなればウン千万円であるが、過ぎればウン百万円にしかならないのである。運に関してはあまり自信はないので、きっと誕生日の翌日あたりに頓死してカミサンに「あ〜ぁっ、よりによって!」なんていわれるのである。
生きていくということはなかなかに難しいのである。

まあそんなこんなであるが、ムスメがプレゼントと愛情を込めたショートケーキを焼いて祝ってくれて、で、やっぱりケーキの後は『誕生記念ご開帳』となったのである。

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赤ちゃんが来た

昨日は目覚めたら雪であった。結構な降りで10cmほど積もっている。タニザワくんが生後6ヶ月の赤ちゃんと若い奥様のカナさんと訪ねて来る予定である。7時半頃「これから行くよ」との電話。既にスタッドレスは脱いでいるという。イヤハヤ、よりにもよってである。スタッドレスでないと、とても我が家までは無理である。
10時半頃に小淵沢IC脇の駐車場に迎えに行きワタクシの車に乗り換えて来宅。

タニザワくんは昨年10月の小学校卒業50周年のクラス会で久しぶりに会い、その折り「一昨日子供が生まれた」と言うので「孫かい?」と聞いたら「オレの子」とのことで、さすがに犬猫病院長であると感心したものである。
さて、その赤ちゃんであるライゾウくんは元気・元気のうえ機嫌の良い子であり、誰を見ても「ニーッ」と笑う。IMG_3560(変換後)そのうちにライゾウくんもここ一番良いところを見せようと思ったのか、今まで出来なかったというハイハイを始める。仰向けに寝て手足をばたつかせていたのが、エイヤッと寝返りを打ち、腕立て伏せをするような体制から頭を持ち上げ前進を始めたのである。う〜ん、人類とっての偉大なる一歩の目撃である。「キャッキャ・キャッキャ」いいながら床の上を這いずり回る。こうして人類は進歩するのであろう。
そう言えば歩くのが遅かったムスコは、ゼミ教授のカトウ先生の松本の実家に伺った時、お母上に向かっていきなり歩き始めたものである。赤ちゃんというのは何かの刺激で急に成長するのである。
まるで動くおもちゃである。もうこうなるとカミサンもムスメも夢中である。それをガラスの向こう側のデッキから見たダリはすっかりヤキモチをやいて「ワンワン」と吠え続ける。もう14歳、人間でいえば80歳の爺さんがヤキモチを焼いてと笑われても必死の形相で吠え続けている。獣医であるタニザワ夫妻に撫でてもらい、ライゾウくんはカミサンとムスメのおもちゃである。
オッパイをもらい、離乳食のおかゆを握りしめたスプーンでむしゃむしゃと食べ、暫し眠ってはまたハイハイと、まあよくも疲れないものである。
この子等の将来に徴兵制なぞ敷かれないことを願い、暫しアホ首相の人格に関する話し。

夕方、小淵沢の温泉に寄ってから帰るというタニザワくんをICまで送る。

ムスメはすっかりイジケたダリを散歩に連れて行き、今までで一番大きな鹿の角を拾って来る。

夜、ナルシマ夫人から福島原発や急激に右傾化する政治に関する電話。「70歳となって、いま自分の出来ることをしないと!」と頑張っている。

今朝はダリの狂犬病予防の注射。雪で再び白くなった森を通り抜けて改善センターへ。大騒ぎする犬たちを尻目に、注射されても知らんぷり。

やっと咲いたダンコウバイにも雪が積もっていた。
IMG_3567(変換後)IMG_3580(変換後)

その後、ムスメを教習所に連れていき入学手続き。4月に入り生徒数も減ったのであろう、貰ったスケジュールでは3週間で終えられるようである。

昼食後、昨日のライゾウくんのバイタリティーを見ていただけなのに疲れがどっと出て、3人とも昼寝。

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出払い

一昨日は朝8時から春の出払い(村の共同作業。欠席すると出不足金を数千円取られる)であった。小雨で酷いガスの中、ワタクシの常会28名で担当帳場に軽トラに分乗して向かう。田圃の側溝や水路に溜まった石や泥をジョレンやスコップで上げるのである。一生懸命やる人、テキトーにやる人様々であるが、ま、殆どの人が勤め人であり、直接農業に携わっていないのであるから当然といえば当然なのかもしれない。途中お茶休憩を含み10時半に終わる。
一旦着替えに家に帰り、11時半から懇親会。改善センターという村の公民館の一部屋を常会で借りてのエンカイである。農協で買って来た総菜や刺身や巻き寿司、本日の買い出し担当の人が作った汁物を肴にしての飲み会であり、これは春・秋の出払いの後に行われる。何せこのような出払い作業には中山間整備事業補助金?が常会の人数に応じて分配されるので、各常会とも結構な額を貯め込んでいて年々豪華になっていく。で、我が常会では春夏の出払い後と、年末には常会の家族も参加してのクリスマス兼忘年会をホテルの宴会場で行うようになっている。

2月にウォーキングを始めてからビールは飲まないようにしていたのだが(いや糖質0・プリン体0のは何本か飲んだが)、昼間から焼酎や日本酒を飲む気にもなれず酌をされるままに結構な量のビールを飲み、結構な量の肴も食べてしまい、ちょっとハンセイする。最近山に嵌ったウシヤマくんなどと山の話しをしたり、昨年から常会に家を借りてハウス菊作りを始めたムカエくんや、最長老のシゲタネさん、ムネヒコさんなどと話し込む。

常会のエンカイは飲みたい人は呑み続けるし、帰りたい人はテキトーに途中で帰っても構わないのであるが、後片付けは当日の買い出し担当の人4〜5名と、最後まで飲んでいた人がやることになっている。見ていると飲み会が終わる寸前にソコハカトナク消える人、最後まで残って余った酒や肴に期待する人、黙々と片付ける人と、なかなかそれぞれの性格が出て面白い。片付けを終えて4時半頃、飲まないので車で来ていたウシヤマくんに送ってもらう。

寝る前に風呂から上がって体重計に載ったら800gも増えていた。ハンセイ!

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のんびりと

快晴。異様に暖かい。都では桜が満開らしい。

午前中はカッパー・テープ巻き。うどんの昼食後、禁断の煙がなくなり町に下る。ついでに夕食を何にしようかと西友を覗く。昔は料理も億劫ではなかったのだが、最近はどうも面倒くさい。酒の肴で適当にと鮮魚売り場を覗くがろくな刺身もない。隣の肉売り場を覗く。ステーキ肉の安売りをやっている。ひょっと見たら100円引きのシールが貼ってあるのもある。消費期限が今日までのパックで350gの分厚い肉である。まだ山の疲れも残っているし、今夜も一人である。ステーキ肉1枚とレタスを買い、レジに向かっていたら枝豆のパックの安売りが並んでいる。フムフム、枝豆を肴にステーキにして、米を食べなければ・・・

帰ってまた暫くテープ巻きをしてからダリ散歩を済ませ、ウォーキングに出る。暑い。半袖にしてくれば良かったと後悔する。真っ直ぐ阿弥陀岳に向かって上る。今年は雪が多かったが融けるのも結構早い。IMG_3547(変換後)
途中のハウスでマナブくんと立ち話。マナブくんは10年前に都からやってきて、地元の人と結婚してハウス菊栽培をやっている明るい好青年である。昨冬の大雪でハウスが幾棟も潰れて大変だったが補助金で建て直したとのこと。今年は小学校のPTA会長を仰せつかったとのこと。ゴクロウサン。

帰って夕食前に風呂に入り、『糖分0・プリン体0』のビールを飲みながら枝豆で1杯。ミディアムに焼いたステーキの1/4をダリにやり、レタスも分けてやる。これでお腹一杯。この2ヶ月で随分と小食になったものである。

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病院、そして乗鞍岳

さて、27日のこと。2ヶ月に一度の内科。この2ヶ月間ほぼ毎日40分息が荒くなるスピードで坂道を登って、20分で下ってくるというウォーキングを続けてきたので、4Kg程度体重を落としていたし、BMIや体脂肪率、内臓脂肪もかなり減っていたのでちょっと自信をもって診察室に入る。入るなりドクトル・タニウチに「頑張ったね。凄いね。」と褒められる。「う〜ん、2ヶ月でこんなに数値が下がるとは・・・一体なにをやったの?」とお褒め頂き、「毎日坂道を40分ひたすら急ぎ足で登って」と答えたら「いやぁ、患者の鏡ですなぁ」とのことであった。
やれやれ助かった。これからも続けねばと思いながら9時半に展望レストランへ。さて何にしようかなと食券機の前で暫し悩む。カツ丼は勿論パスしてと・・・ちょっと気を大きくしてエイヤッと玉子丼を注文する。後悔。やはり朝からちょっと重かった・・・

夜、山岳部先輩のカワダさんが最新の山スキー道具と共に来宅。仕事を後輩に任せ、半リタイアした身分であるから、今年になってから30日は山や山スキーに行っていたとのこと。相変わらず日焼けしている。久しぶりに会い、0時近くまで話し込む。明日は5時起床で、6時に出て乗鞍岳に山スキーである。乗鞍は高校生の頃の冬山合宿で何回か行っていたし、09年にもカワダさんと行ったが位ヶ原から上が吹雪で引き返している。

28日、快晴。4時半時目覚め両膝にテーピング、左足首(昔ボルトが入っていた)を強いサポーターで固定。先日の西岳でズルムケした右足首の踵にもテープを巻く。コーヒーとゆで卵、カレーパンの簡単な朝食を摂って6時少し前に乗鞍を目指す。7時半にはリフト乗り場近くの第三駐車場に着く。装備を用意して8時15分のチケット販売開始まで待ち8時半のリフトに乗るが、その上のリフトは8時45分発で少々待ち、またその上のリフトは9時発でまた待つ。3本のリフトを乗り継ぎ『かもしかゲレンデ」の最上部にてスキーにシールを貼る。次々に若い山スキーの人達(最近はバック・カントリー=BCと呼ばれて人気である)、アイゼンやワカン、スノーシューなどの登山者達がリフトで上がってくる。『かもしかゲレンデ』の最上部からはツアー・コースとなり、先ず急登がある。シールで行くより担いだ方が早いとここはザックにスキーを着けてツボ足で登り、その上でジャケットを脱ぎウールのシャツ1枚になりシールで登る。乗鞍の主峰剣が峰が見えて来る。IMG_0080(変換後)二人ともピッチ上がらず。ワタクシは左膝と右足踵が痛む。やっと位ヶ原の急斜面を登り切ると広大な台地に出る。さすがに2500mを超え、風が強くなり、所々ガリガリに凍っている。IMG_0063(変換後)IMG_0072(変換後)2700m位まで登ったが剣が峰を諦める。さすがにアンダーのウールシャツ1枚では寒い。ジャケットを着込んでそれまで薄いグローブのままであったので厚いグローブを嵌め、シールを剥がし、夏のトイレ小屋目指して滑り下りるが、シュカブラやガリガリの氷で滑りにくい。トイレ小屋の前であんパンを食べて休憩。
さていよいよ下山である。考えてみれば昨年も今年も滑っていない。家から15分も走れば町内にスキー場が2つもあるし、町民割引で安く滑れるのだが、どうもいちいち着替えて滑りに行くのが億劫になっている。平日の殆ど誰も滑っていないスキー場に行ってゴンドラで上がって3Kmのコースを2回も滑れば飽きてしまうのである。で、最近はとんとご無沙汰である。

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カワダさん

古くて重い兼用靴(底がビブラムで登山靴とスキー靴の兼用靴)のバックルを締め上げると足が悲鳴を上げるが仕方ない。2人でのんびり下る。どうも思うように回せない。数百メートル滑ってはちょっと休む。穂高を眺めては一服する。

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スキー場まで下りてからは上級者コースなんぞには目もくれずに初心者コースをのんびり滑り3時前には駐車場まで戻って来る。

直ぐ近くの『湯けむり館』にて白濁した温泉に浸かり疲れを癒し、家には5時半には着く。頂上には立てなかったけれど快晴のなか、カワダさんとのんびり楽しむ山となった。

夕食後、カワダさんは明日自宅に来る孫の顔を見たさに8時過ぎには東京へ帰って行った。

 

本日、朝早いバスでカミサンとムスメが3泊で上京。ちょっとのんびり出来そうである。

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